SHIMANE UNNAN-CHALLENGE

これまでの雲南市(雲南市ブランド化プロジェクト)

人の幸

第3回 朝日光男さん

たたらの歴史を後世に伝える
朝日光男。雲南市吉田町菅谷の高殿に生まれ、育つ。地元での炭焼き、運送会社勤務などを経て、財団法人鉄の歴史村地域振興事業団に入社、現在に至る。全国唯一現存する「菅谷たたらの高殿」がある菅谷たたら山内(国指定重要有形民俗文化財)の現地ガイドとして活躍中。たたらの歴史を語るその熱弁は、訪れた人に大きな感動を与えている。「菅谷たたらとカツラの木」は、第16回しまね景観賞大賞受賞。
-かつては、各地に野だたらと永代たたらがあったようですね。
たたら製鉄をするためには、燃料となる木炭、つまり山林が必要で、そのほか強い炎を生み出す風や炉をつくるための土、そして原料となる砂鉄も不可欠です。
野だたらは山を移動しながら操業を行い、永代たたらは平地にたたら場を造り一つの場所で操業していました。野だたらは数十箇所あったといわれ、永代たたらは1646年に吉田町木下地域に初めてでき以降、町内に7箇所あったようです。
-その永代たたらの一つがここ菅谷たたら山内ですね。
そうです。ここは、全国でも現存する最後のたたら場です。
菅谷地区には、炉を造るための粘土と真砂土があり、谷川沿いに西から吹き上げる自然の風、動力となる水車を動かす川の水、原料となる砂鉄、そして燃料となる山林に恵まれていました。
文献によると、たたら製鉄に必要なのは、

一、粉鉄
一、炭
一、窯土
一、風
一、勘(村下の技術)
だったとされていますが、菅谷はまさにたたら製鉄にとって最適な環境だったわけです。

また、街道がすぐ近くを通っており、三刀屋・粟谷の船着場や吉田川へ鉄が運ばれていました。
そこからさらに斐伊川を経由して日本海へ、そして北前船で近畿地方や北陸方面、瀬戸内海を経由して大阪の堺へ運んでいたようです。ここ山内は、輸送にも便利なところだったということです。

菅谷たたらは、宝暦元年(1751年)の操業から大正10年(1922年)5月3日の最後の窯出しまで、170年の長きにわたり操業されていました。
当時、菅谷たたらでの鉄の生産量は最大を誇り、明治25年のシカゴ万博や明治32年のパリ万博にも出品されたほか、大正天皇の御守刀にも採用されるなど、非常に高い品質を誇っていました。

-菅谷たたらと言えば、美しいカツラの木の芽吹きでも有名ですよね。
カツラの木は、たたら製鉄の神様である金屋子(かなやこ)の神が、白鷺にのって降臨された木であると伝えられ、どのたたら場にもあったようです。

カツラの木は、年に1回だけ、春の桜開花と同じ頃に赤く芽吹きます。その期間は、たったの3日ほどです。夕日に映えて赤く染まったその姿は、とてもきれい。たたら操業の3日3晩のサイクルと同じで、枝は上に向き、そこから出る芽が燃えるように赤く染まる様子は、たたらの炉で燃え上がる炎を連想させます。

近年写真愛好家の方などから「本当に美しいですね」との声をよく耳にするようになりましたし、この時期になると、問合せの電話がとても多いです。(...と話していたら、早速問合せの電話で中断)



もともと美しい山内地区ですが、カツラの芽吹きをPRすれば、もっと沢山の人がこの地を訪れ、鉄の歴史についてもっと知ってもらえるのではと思い、現在のようにたたら場跡とカツラの木を一望できる環境を整備しました。視野の中に、木の枝や電線が入らないよう配慮しています。

私が子どもの頃は、このカツラの木の根元で村下さんが腰をかけ、キセルをふかしながら休憩されていました。今でも鮮明にその光景を思い出します。
実際にそこに立ってみると、谷川からのとても心地よい風がスーッと吹き上げてきます。「だからここで休憩されてたんだな」と今になってようやくわかりました。
-この地区はどんなところだったのでしょうか。
かつての高殿地区には、40世帯、約170人が住み、この他にもたたらの技術者集団が60人ほどいたようです。みんなが何らかの形でたたらに携わっていました。
文化財に指定されている山内の長屋はに、村下や番頭さんが住んでしました。一戸建てではなく長屋であったのは、人に甲乙をつけない田部家の方針だったようです。
現在は、12世帯、26人ほどになり、子どもはうちの孫3人しかいません。
最後の村下だった堀江要四郎さんは、すぐ近所に住んでいらっしゃいましたが、ここを離れられる時に、村下に受け継がれてきた金屋子さんの祠を貸してくださいました。村下屋敷だったここの床の間に、今でも大切にお祀りしています。

※昭和44年に復元操業したときの様子を鉄の歴史博物館のビデオで観ることができます。
※朝日さんの住む集落一体を高殿地区といいます。このうち、文化財となっている長屋や元小屋などがある場所が山内と呼ばれています。

-たたら製鉄の魅力はどんなところにあるのでしょうか。

ここに生まれ育ったのですが、ごく当たり前に目の前に存在していたこともあり、若い頃はそんなに貴重なものだとは認識していませんでした。ガイドをするようになり、ここを訪れる人々との出会いの中で、大変貴重なものであると再認識しています。
菅谷たたら山内の内部菅谷たたら高殿の建物の中にお客さんをご案内すると、実物を直接目にした感動から「うぁー、すごい!」と言われます。
また、当時の姿がそのまま残っている山内は、何度訪れても「飽きない」「心が落ち着く」場所のようです。

大阪万博の「太陽の塔」制作で有名な岡本太郎さんが、昭和57年に開かれた島根国体のモニュメントの制作を依頼され、県内各地を回られたそうです。なかなかイメージが沸かず苦労されたようですが、菅谷たたら山内に来られ、たたらの炉の炎が高く燃え上がる様子を想像し、一挙に機嫌がよくなられたというエピソードもあります。こうしてできあがったモニュメントが松江市の総合運動公園にあるモニュメント「炎」です。
宮崎駿監督の映画「もののけ姫」に登場するたたら場のモデルになったとも言われています。映像の中では、女性たちがふいごをふみ、たくましい姿が見られます。しかし、実際のたたら場は女人禁制でした。

私が子どもの頃には、子どもたちの遊び場でした。横の広場でよく野球をしたものです。

-菅谷たたらの高殿の上の山には祠があるそうですね。
たたら場でもっとも恐れられていたのが火災です。そのため、火の神様である秋葉さんなどが祀ってあります。現在でも、自治会員が毎日交代で御参りしていますよ。
神社周辺は、赤土がみられ、やはりここがたたらの適地だったと実感することができます。
この神社では、毎年7月にお祭りも開かれます。参道に行灯を置きますが、これがまた綺麗ですよ。

-菅谷たたら山内は、歌舞伎発祥の地
たたら操業にとって、湿気は大敵であるため、7~8月は操業を停止していました。
停止期間中は、次の操業への英気を養うため、菅谷たたら高殿の中で一昼夜ぐらい芝居をしたり、踊りを踊ったりしていたそうです。

実は、歌舞伎の創始者と云われる出雲阿国(いずものおくに)のご両親は、有吉佐和子さんの小説「出雲の阿国」によると、吉田町菅谷の出身だと伝えられています。父親はかんな流しの職人、母親は村下の娘さんでしたが、身分の違いから出雲大社の方面へ駆け落ちされたそうです。
出雲阿国のお墓は出雲大社の近くにありますが、ご両親は晩年ここに戻り、この辺りの山で生涯を閉じたそうです。


-なるほど、元々たたら操業の合間に、"踊る"という文化があったわけですね。出雲阿国が歌舞伎を創始するきっかけになったであろうと十分考えられますね。だから、歌舞伎発祥の地なんですね。

そうなんです。出雲阿国は、田部家5代目の前で舞を披露したと伝えられています。
江戸末期の著名な歌舞伎役者だったと伝えられる尾上翁鳥(おのえせんちょう)さんのお墓も、この近くのグリーンシャワーの森にあります。お墓には嘉永4年(1851年)没とあり、公演に寄られた際に、病気でお亡くなりになったといわれています。著名な歌舞伎役者が吉田町を訪れていることからも、歌舞伎のルーツを感じます。
-しまね景観賞の大賞受賞についてどうお考えですか。
日本最後のたたら場跡として、たたらの存在を多くの方に知ってもらう契機になると、非常に嬉しく思っています。
たたらの存在を後世に伝えるため、地元の清流クラブの方達とともに、空家を使ったツーリズムの宿の開設に取り組んでいるところですが、周辺が一体となって受け入れることができるようにしていきたいです。また、今後は自治会や町の範囲に限らず、興味を持った人にぜひ伝承活動をして欲しいと思います。

-たたらの存在を後世に伝えるためには、どうすればいいでしょうか。
地元の清流クラブの方達とともに、空家を使ったツーリズムの宿の開設に取り組んでいるほか、周辺が一体となって受け入れることができるようにしていきたいです。
自治会や町の範囲に限らず、興味を持った人にぜひ伝承活動をして欲しいと思います。

-何か夢はありますか。
たたら製鉄によって生み出され、日本刀の刃の原料となる玉鋼は、現在の技術をもってしても再現できないほど高い技術です。ぜひたたらの存在を多くの方に知ってもらい、たくさんの人に訪れてもらいたいと思っています。

取材を通じ、過去に何度も訪れ、十分に分かっているつもりだった菅谷たたらの奥の深い魅力を改めて感じることができました。現地を見るだけでなく、やはり朝日さんのお話を聞きながら見ると、より深くその魅力を感じることができます。
訪れるたびに、その魅力を深く感じることができる菅谷たたら山内。来たことがある方もぜひもう一度訪れてみてはいかがでしょうか。
吉田の街並みの中にある鉄の歴史博物館では、たたらの道具や資料のほか、たたら製鉄を復元した際の記録ビデオを見ることができます。(このビデオは特にお奨めです!)
鉄の歴史博物館を訪れてから、菅谷たたら山内で現地見学されると、より一層理解することができます。
そして、菅谷たたら山内へお越しの際は、受付にて朝日さんにガイドをお願いしてみて下さい。

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