古墳に納められた鉄鐸の謎 ~六重城南(むえじょうみなみ)遺跡1号墳~
雲南市三刀屋町六重の丘陵上から古墳の周溝(しゅうこう)が2条見つかりました。周溝とは、古墳の周りを巡る溝です。二つの古墳の内、古墳時代中期(およそ1500年前)に造られた、1号墳の周溝から、県内ではとても珍しい遺物が出土しました。
鉄鐸とよばれるこの遺物は、扇形と考えられる薄い鉄板を、円錐形になるように曲げてあり、その内側に舌(ぜつ)とよばれる鉄製の棒が吊るしてあります。鉄鐸の長さは5㎝にも満たないものですが、振ると音が鳴るようになっていました。正に銅鐸ならぬ、鉄鐸とよばれるゆえんです。
六重城南遺跡1号墳出土遺物
(鉄製品奥から鉄鐸、鉄斧、鉄鎌、鉇、錐、鑷子状鉄製品)
さて、この鉄鐸は、全国でも24の遺跡でしかみつかっていません。朝鮮半島では21遺跡で確認されていますので、その起源は、日本ではなく、朝鮮半島にあることがわかっています。つまり、六重城南遺跡1号墳から出土した鉄鐸は、朝鮮半島から持ち込まれた可能性が高いことになります。そして、鉄鐸の性格としては、祭祀に用いられた用具ではないかと考えられています。
ところで、鉄鐸の出土に関しては、とても興味深い事例があります。国内の古墳や、祭祀遺構の中には、出土遺物として、鉄鐸の他に、砥石や鉄鉗(かなはし)、また、製鉄炉で鉄が生成される際に排出される鉄滓などがあるのです。加えて六重城南遺跡1号墳では、毛抜形鉄器などとよばれる、鑷子(じょうし)状鉄製品や、錐、鎌といった農工具も出土しています。この鑷子状鉄製品については、用途や目的などがよくわかっておらず、朝鮮半島が起源とされ、県内で出土したのは4例しかありません。
舌が確認できる鉄鐸
これらの事例を勘案してみると、鉄鐸や鑷子状鉄製品などが納められた古墳の被葬者は、朝鮮半島から渡来した人物であり、古墳の副葬品からは、何らかの祭祀を行いつつ、鍛冶も行っていた鍛冶工人の姿が浮かびます。
この古墳の近くには、『出雲国風土記』にいう飯石小川(飯石川)が流れており、奈良時代のはじめには、飯石川で製鉄の原料となる、川砂鉄が採れると記されています。また、古墳の西側には奈良時代後半の鍛冶工房群である、鉄穴内(かんなうち)遺跡が所在しています。さらに時代を遡れば、弥生時代時代末ごろには、斐伊川中流域の平田遺跡でも鍛冶が行われていたことがわかっています。
このことから、古墳時代の中ごろ、六重では、すでに鉄器の生産が行われていた可能性を示しているのではないでしょうか。雲南の山間部で発見された希少な遺物は、この地域に朝鮮半島の鉄文化が、早くから根付いていたことを物語っています。
六重城南遺跡1号墳の周溝に納められた鉄製品(左)と甕(中央)
※ 画像は、全て島根県教育庁埋蔵文化財調査センターの提供によります。
※ 参考資料 『中国横断自動車道尾道松江線建設予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書16六重城南遺跡・瀧坂遺跡・鉄穴内遺跡』平成21年度、国土交通省松江国道事務所及び島根県教育委員会発行